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バッキー・ハリス(1938年春&秋) 

カテゴリ:消滅球団

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バッキー・ハリス(1938年春&秋)

■成績 .324 6本 24点(38年春).320 5本 23点(38年秋)


28年からマイナーリーグでプレイするも、メジャー昇格はならず
ロサンゼルスの日系チーム「L・A NIPPON」の31年の日本遠征に参加。
35年にアメリカ遠征に来ていた大日本東京野球倶楽部と対戦。
日本国内で初のプロ野球リーグ戦が始まった1936年、
名古屋軍総監督の河野安通志氏が鈴木惣太郎氏に外国人選手の紹介を頼んだところ、
鈴木氏が懇意にしていた「L・A NIPPON」のチームマネージャー、
フランク大江氏が仲介して名古屋軍への入団が決まった。

36年春季からリーグ戦に参加。同年春・夏通算打率が.348、秋季も.310を記録。
37年には監督であった河野氏が結成した後楽園イーグルスに移籍。
37年秋季には打率.310を記録した打撃に加え、強肩から繰り出される
各塁への正確な送球など攻守両面で活躍し、
前年最下位であったチームを3位に押し上げた。それらの功績を評価され、
同年度の最高殊勲選手(MVP)に選出された。
38年には春季に本塁打王にも輝いた。

しかし当時日米関係の悪化などから38年に退団。
チームメイトとの別れの日、ハリスは「さようならと言えないほど」大変に悲しみ、
船上から紙テープではなく固く縛った白いハンカチを投げ、
ハンカチの中には、50銭銀貨を重し代わりにして、
1枚のレターペーパーにたどたどしいカタカナで
「カナシクテ、カナシクテ、サヨナラガイへマセン」と書き記したほどであった。

以後米国を含め選手として公式戦出場はなく引退したと見られる。
晩年は日本シリーズにも招待されるほど変わらず野球と日本への愛を示してくれた。
78年に水上事故でこの世を去った。

■各特能解説

ささやき戦術
日本語の勉強も熱心であったハリスはよく桃太郎の口ずさむながら
試合をプレイしていたとされる。この打者の集中力切らす行為こそが
ささやき戦術の元祖とも呼ばれるであろうプレイであるとされる。

かく乱
走者として塁に出ると相手投手に向かって「ちょっとそのボールを見せて」と話しかけ、
投手がハリスに向かってボールを転がした瞬間に次の塁に向かって走り出したりしたという。
ささやき戦術の件といいトリックプレイを好む傾向がある。
また盗塁自体もそこそこ成功している事が多いため採用。

送球A
当然明確な阻止率のデータはないのだが、
試合前のシートノックで両ヒザをついたままの姿勢から糸を引くような球を送り、
二塁ベース上に構える相手のグラブへ寸分の狂いなく収められたとされる。
今回は肩力も凄く強い言うほどには設定してないのでこちらはAで採用。

■備考



以前にも作らせてもらったのですが、
この査定は別サイトでの査定をかなり参考して作ったので、
今回は一から自己流で査定したverとなりました。
また高木豊の時同様に画像での発表のみとしようかと思ったのですが、
かなりの仕様変更をしましたので、
今回は通常通りパワナンバー形式での掲載となりました。

ちなみに以前Twitterにあげたのに比べて…

・基礎能力の調整(基本的にはアッパー気味に)
・ささやき戦術を含めた特能の追加

などを追加しました。以前のがいいという方は
こちらのパワナンバーからお願いします。
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